「退路を断った移住。来るときは機内で泣き続けていました」フラワーアーティストの武田さん

takeda1

Mr. Dan Takeda ( 武田 段 )
年齢: 33歳 /居住国: シンガポール /言語: 日本語、英語 /職業: フラワーアーティスト(DAN TAKEDA FLOWER&DESIGN PTE.LTD.)

2008年にシンガポールでゼロからスタートし、「ルイ・ヴィトン」「シャネル」「カルティエ」「ヴァン・クリーフ」「ピアジェ」「グッチ」など一流ブランドの店舗で花のディスプレイを担当してきた武田さん。華やかなイメージとは裏腹に必死の努力で自分自身をブランド化し、フラワーアーティストという仕事を築き上げました。そこに至る道のりと海外で仕事することの難しさ、楽しさにつきまして話を伺いました。

‐高級ブティックでのお仕事についてお聞かせください

週に一度、各店舗のディスプレイ制作に通っています。毎週閃きでデザインしていますが、ブランドによって、色や花の種類の指定やガイドラインが決まっているところもあります。シャネルは白、しかも薔薇と紫陽花しか使えないとか、ルイ・ヴィトンは基本が5種の花など。でも、花材の揃わない時もあるので、あとは自分のセンスでアレンジして勝負です。ガイドラインより此方のほうが良いと思わせるくらいのものを見せれば問題はありません。ガイドラインに沿うと華やかにならず、器に対してスカスカで安っぽくなってしまうこともあるので、薔薇も50-60本使って大胆で華やかにパッと見て綺麗に仕上げると、一目で納得してもらえます。

‐シンガポールに進出した背景をお聞かせください

昔は英語も出来ませんでしたし海外には全く興味がありませんでしたが、たまたまシンガポールに住む知り合いから「シンガポールにはあまり良い花屋が無い」と聞いて、自分の目で現状を見てみようと来星したのがきっかけです。花屋さんは少ないし、切り花を飾ったり贈ったりする文化が一般的でない国で花の事業を成り立たせるのは厳しい環境だと思いましたが、自分で開拓していく可能性に魅力を感じ移住を決めました。

‐日本では、どんなお仕事をされていたのですか?

最初は飲食関連企業に就職したのですが、入社後1年半で業績悪化により社員の1/3をリストラする方針が出され解雇されてしまいました。大変ショックで恥ずかしく、身内や友人にも話せないまま人生についてとことん考えました。自分に何が向いているのか熟考した結果、「物を作って人を喜ばせることが好きで花が好き」ということに気づき、自分が作るアレンジで人に喜んでもらえる花屋で仕事を始めました。何の経験も無かったので最初は雑用ばかりでしたが3店舗ほどテイストの異なる花屋で経験を積み勉強しました。2006年からは独立開業した花屋に誘われて仕事をしていましたが、全然経営がうまくいってない店で利益もない状況でした。スポンサーがいたので潰れずにいたけれど価値観が合わず不満が募る毎日で、抜け出すチャンスを求めアンテナを張って過ごしていました。

‐2008年3月に初めて下見に来星し、7月には移住されたのですね

自分のアイディアは唯一自分だけが考えているということはなく、世界中に同じようなことを考える人が大勢いるはずなので、人より先に行動することが大事だと思いました。たとえ良いアイディアや技術があっても一番先に始めないと人の反応も違ってくるし価値が落ちてしまいます。また、取り巻く環境は常に変動することを意識する必要があります。実際その2か月後にはリーマンショックでシンガポールの経済状況も一転したので、あと何か月か日本で準備期間を設けていたら、ビザさえ取得できず全てのチャンスを逃したかもしれません。

‐移住して順調にお仕事を始められましたか?

順調だったことは全くないですね(笑)。正直な話、移住して来る道中ずっと機内で泣き続けていたくらいで。海外進出する人全てが夢と希望に胸を膨らませ意気揚々と渡って来るわけでは無く、私の場合は退路を断ってきたので、いざ日本を発った途端に一体何を根拠に日本を出てきたのか分からなくなって不安で押し潰されそうでした。自信がなかったのですよね、どうやって顧客をとるのかさえ見当もつかなかったですから。でも家族や友達が応援してくれていることを考え、とにかくやれるところまではやってみようとチャレンジする決意は固かったです。

特にコネもなく花屋で働いた経験と花をアレンジする技術はあるけれど自分で仕事をとるような営業的な知識や経験は全くなかったので、最初は本当に厳しかったです。それでも諦めるわけにはいかず、毎日必死で歩き回って飛び込み営業しました。地道な営業を続けているうちに時々注文はもらえたけれど、定期的な仕事がないと人も雇えないし初期投資も出来ないので、自問自答しながら模索し続けました。ひたすら街を歩き観察を続け、大きいビルやオフィスは片端から訪問し、毎日手探りで仕事を探し続けているうちに高級ブティックには生花が飾られていることに気付き、ブランドイメージとしてセンスの良い花を飾るに違いないと思って、英語も出来ないのに飛び込みで自分の作品の写真を見せながら、ブティックのフラワーアレンジをさせて欲しいと売り込んで歩きました。

takeda2‐高級ブティックに飛び込みで売り込むのは勇気がいりますね

そうですね。初めは怖くて入れなくて(笑)、緊張して重いドアを開けるたびに体が震えました。それでも、高級ブティックのディスプレイ業務を一つでも受注できれば、それが自分の信用になり次の仕事に繋がるから絶対に成功させるという信念で諦めずに粘り強く通い続けました。とにかくインパクトが欲しかったので、ヴィトン・シャネル・グッチなど誰でも知っている有名ブランドをターゲットにしました。レベルの高い世界で切磋琢磨することは自分の勉強にもなるという期待も込めて。知る人ぞ知るという超高級なレストランよりも、誰もが知っている一流ブランドに毎週お花をディスプレイする仕事にこそ信用価値があり、自分をブランディングできると考えていました。

シンガポールの目抜き通り、オーチャードにある新しいショッピングモールIONの竣工前、通り沿いに2階建てのルイ・ヴィトン(LV)の路面店がOPENするという計画を耳にし、粘り強く営業を続けていたところ、ある日、電話があり、ION店のOPENにあわせなんとシンガポール国内のLV全店の花のディスプレイを任せるという素晴らしい話を頂きました。「LV全店を担当するフラワーアーティスト」という信用は非常に大きなもので、その後グッチやシャネルのディスプレイも担当させていただくことになり、店舗を持たず高級ブティックのフラワーアーティストとして活動する自分のスタイルが確立できました。

‐設立したDAN TAKED FLOWER&DESIGN PTE.LTD.の運営はどのように推移してきましたか?

はじめは人を雇う余裕もなかったので、営業から花の仕入れ、ディスプレイなど全て一人でした。花の仕入れでトムソンロードの花問屋街に行ってもタクシーに乗る余裕も無く、スーパーの買い出しに使うような普通のショッピングカートに花や資材を入れてバスで運びました。大きな荷物を抱えてバスに乗り込んで周囲に嫌な顔をされましたが(笑)1年以上そんな努力を続けました。それから次第に仕事が軌道に乗りタクシーで運ぶようになり、30代になってからはようやく中古の車を購入し、現在は新車を購入して移動できるまでになりました。

そして逆境をチャンスと捉えて次に繋ぐことを積み重ねました。最初は自信が無くて小さい声で話したため「Ah~?!」 とかいう強い反応をされたり(笑)、軽くあしらわれたり騙されて古い花を渡されたり、注文したものが当日になって届かないとかトラブルばかりでした。言葉もよく話せなかったのに必死で怒って訴えていましたが、そのうち何とか一目置いてもらえるようになって次第にコミュニケーションが取れるようになり、なおかつ継続してまとまった数の注文ができるようになってくると、相手の態度も変わってきて良い関係が築けるようになりました。

ある程度からはシンガポール人のアシスタントの雇用を始めたのですが、スタッフの採用でも苦労しました。一日で辞めてしまう人もいれば、給料を貰った途端に辞めたり、仕事のやり方を指導したら来なくなってしまったり、嘘をつく人など様々で…。人を信用できないストレスから全身蕁麻疹が出るようになったりして大変でした。

幸い現在は良いスタッフが4人ほどいて、チームとして頑張れる体制が整っています。毎回仕事内容が異なるので完全に任せるのは無理ですが、自分が考えたデザインやコンセプトにあわせた指示に基づき、スタッフが花や資材を搬入し、準備ができてから自分の出番、というようにアシスタント業務を任せられるようになりました。自分一人でやることが多すぎるとクリエイティブなことに時間を割けず仕事の可能性が広がらないので、自分でやった方が早いことも多いけれど、人を育てる意味を意識し、チームとして最高の結果が出せるよう各自が考えて行動できる体制を目指しています。

takeda3‐今後はどんな仕事を展開していきたいですか?

当面はシンガポールを拠点に活動する予定です。シンガポールをベースに近隣諸国でのイベントやウェディングなど、フラワーアーティストとしての仕事を開拓して幅を広げたいと思っています。他の人が手掛ける前に積極的にチャンスを掴むつもりです。
高級ブティックの景気が一番よかったのはマリーナ・ベイ・サンズができた頃で、その後は売り上げも落ち、ディスプレイの予算も削られる一方です。会社の維持にも影響することなので、他にもデザインに付加価値をつけられる仕事に力を入れていきたいと思っています。特にウェディング部門は有望で、インドネシアの富裕層などは桁違いのお金持ちが多く、本当に良いものであればお金に糸目を付けず、通常の何倍もの値段でもきちんとした対価を払ってくれます。

昨年シンガポールにて日本の機能照明器具会社・ModuleXのオープニングパーティー会場で初めて大掛かりなデモンストレーションを披露しました。ギャラリーを貸し切り、世界最高品質の照明で花を綺麗に見せる目的のイベントを行い、NHKの取材も受けて注目されるなど好評を得ました。観客が飽きずに見られるよう10分程度で完成させる段取りを入念に準備しました。常々期待以上の仕事をするのが真のプロだと思っていますし、想像を遥かに越えたときにこそ感動してもらえると感じているので、このイベントではその想いがすべて形と結果につながり多くの方に喜んでもらえました。人がやっていないことをやることにこそ価値を感じるので、今後も誰でも簡単にできることではなく、全く違う切り口で新しいことを創りだしていきたいです。

‐これから活動の場は世界に広がりそうですね

シンガポールで成功するためにも、ステップアップして、どんどん周辺のアジアの国々へ、さらにはヨーロッパでも活動し世界レベルで切磋琢磨するつもりです。将来的には「シンガポールを拠点として活動する世界的フラワーアーティスト」として日本でも評価されることを目指しています。

※後編に続きます。

(取材・文:佐竹伸子)