小野口悟さん。UNIQLOシンガポール・マレーシアCEO(後編)

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‐今のご活躍ぶりから退職を考え辞表を出されたというのは意外ですが、その後どうして会社に残ることになったのですか?

辞表を出し、次の店長に引き継ぎをして退職2週間くらい前、入社した当時の上司が転勤先の本社のある山口から会いに来てくれたのです。止めに来てくれたのかと思ったら「辞めるな」という話ではなく、この後どうするつもりなのか、貯金はあるのかとか(笑)、本当に親身に自分のことを心配して話を聞いてくれて、会社の未来についても色々と話をするうちに自分のわだかまりが解けていって、自分は何を悩んでいたんだろうと思うほどスッキリしたんですね。その上司が帰り際に「未練があるなら連絡してきなさい」と言ってくれたので、すぐに電話して決まっていた退職話を取消してもらいました。既に次の店長に引き継ぎが済んでいましたし、元の社員からやり直す覚悟で残ったのですが、ちょうどファミリー向けのコンセプトブランド「ファミクロ」の立ち上げ時期だったので、福岡のお店を担当するチャンスを頂いて仕事を続けることになりました。

‐それからは迷いなく仕事に専念できたのですか?

そうですね、実は退職を考え直して初めて「本当に良い会社だ」と思えたんです。それまでは目標達成に向けて頑張っていただけで会社に対して特別な思い入れは無かったのですが、自分が壁にぶつかった時に上司や周囲の人たちがサポートしてくれ、決まっていた退職を撤回しても自分を残してくれ新たなチャンスを与えてくれたということに心から感動しました。一言で会社と考えるよりは人の集まりなんだということに初めて気付かされ「会社に貢献できる人間になりたい」という大きなモチベーションができて突き動かされた感じですね。それ以来、大変なことや困難にぶつかっても自分のモチベーションが常に高く保たれていたので何事も乗り越えることができました。

‐今振り返ると、ご自身の20代というのはどんな時期でしたか?

20代というのは我武者羅に頑張っていた時期でもあり、大きなターニングポイントがあって自分の中に太い柱ができた貴重な時期でした。高いモチベーションがあったからこそ、戻ってすぐの「ファミクロ」の立ち上げや入社3年目で会社の大きなプロジェクトであった原宿店の店長など大きな仕事も任され、数々の難題をクリアして成果を上げることで遣り甲斐も感じられましたし、その後エリアマネージャーや本部でのユニクロ大学で教育する立場の経験も積んで良いキャリアが築けた時期でした。

‐30代はどのように過ごしてきましたか?

社内のユニクロ大学という部署で3年強社員教育の仕事をしたころ、そのまま教育のスペシャリストを目指すのか経営者を目指していくべきなのか次のキャリアについて考えていました。私にユニクロに戻る転機をくれた上司が当時日本の営業責任者をしていて「経営者を目指すなら一度営業に戻れ」と助言してくれたこともあり、やはり「UNIQLOのビジネスの全体をみたい」という気持ちを強くし、30歳を過ぎた頃営業に戻りました。ユニクロ大学で多くの社員を教育してきた立場上「営業ができないと示しがつかない、絶対に成果を出してやろう」という思いでしたね。営業にはエリアマネージャーの一つ上のランクのブロックリーダーで戻り50~60店舗をまとめる立場でしたが、割と早いタイミングで営業のリーダーから部長、東日本担当部長、そしてシンガポールへと昇格してきました。30代からは経営者を志しながら常に一つ上のランクの仕事を意識して務めてきた時期だったと思います。また、入社して10年位は「会社に貢献できる人間になる」という一途な思いでしたが、様々なきっかけで「会社に貢献することはお客様の満足や従業員の満足、ひいては社会貢献に繋がっている」という思いが芽生えて、「世の中のために仕事をしよう」と自分の意識の幅を広げて仕事ができるようになった時期でした。

BUGIS_UNIQLO‐壁に当たった時、どんなことを意識すれば乗り越えられると思いますか?

自分の中のモチベーションが高いと常に物事にポジティブに取り組めると思います。自分の立場でいえば、上司として人を育てることは当然の責任ですが、人を育てるというよりは「育ってもらう」ということを意識しています。自分が高いモチベーションを持つことで困難を乗り越えられたような環境を作れるよう、優先順位は自分より他人に置くことを心掛け、仕事をする動機は自分のためでなく常に外にあります。自分のためより誰かのため会社のため社会のためというように。だから大変な時でもそういう意識に後押しされて頑張れるのです。人は自分のためにやっていることは大変な時に諦めてしまえるんですよね。勿論私も昔はそういう性格でしたが、転機から芽生えたモチベーションを10年位ずっと高く保って仕事してきたら自分の中でそれが自然になったという感じです。

‐尊敬する人はいますか?

人生のターニングポイントを導いてくれた入社当時の上司は命の恩人みたいなもので、その方の御蔭で今の自分があると思っていますので尊敬しています。また、経営者という意味ではやはり社長の柳井を尊敬しています。

‐自分にとっての幸せの価値というのはどのようにお考えですか?

自分の人生と仕事というのは同じ感覚になっていて切り離すことが出来なくなっています。ワークライフバランスという言葉がありますが、私にとっては「仕事が人生」で「人生が仕事」みたいな感覚ですね。UNIQLOの仕事を20年継続してきた中で、仕事を通じて誰かの幸せに貢献していると感じられると自分も幸せだと感じます。

BUGIS‐海外に出て色々な国の方と接する中で日本人に対してはどのように思いますか?

良い意味でも悪い意味でも阿吽の呼吸のような「感じ取る力」に長けていると思います。言葉が無くても通じ合えるような配慮ができることは良いことでもある半面、言葉にしないと伝わらない場面でも理解してもらうことを期待して言葉で伝えない人も少なくありません。また、日本人はやはり細かいことが得意ですね。UNIQLOの仕事は掃除や商品の並べ方など結構細かいことが多いのですが、他の国の方には難しいこともあります。

‐UNIQLO従業員のそれぞれの国籍の方の特徴をどのようにとらえていますか?

みんな育ってきた文化や習慣が異なりますので勿論違いはありますが、あまり特徴というのは意識していないです。 FAST RETAILINGでは全員経営という精神で仕事上の決断を各自に任せるのですが、最初はそういうことは苦手なのかと思っていたシンガポール人も徐々に理解して楽しんでくれるようになったりしていることもあり、先入観や第一印象で特徴づけて決めつけることがないようにしています。宗教や人種による価値観など基本的な配慮はしますが、通常そんなに人種や国籍による特徴を意識することは無いですね。

‐スタッフの採用で意識していることはありますか?

必ず面接で会社の精神を伝えるようにしています。その上でこの会社のやっていることに参加したいと思える人に残ってもらうようにして採用しています。シンガポールでは3つの大学と連携して大学内でUNIQLOの会社説明会を行っていますが、選考途中で必ず一日店舗で働いてもらっています。実際の業務を体験することで、入社してから「入ってみたらきつかった」というような反応や「親から、大学を出てそんな仕事?と反対された」というような事態がないよう、最初から身をもって理解してもらおうと思っています。

‐老後について計画はありますか?

今は仕事がすごく楽しいので老後については何も考えていないですね。シンガポールをはじめ東南アジアでの仕事を誰か現地の人に引き継いだら、次にどういうことをできるか想像して楽しめるようになると思います。

onoguchi1‐日本にいる同世代に対してのメッセージをお願いします。

日本にいてはなかなか実感できないことですが、シンガポールにいると「市場は本当にグローバル化している」もはや「国による壁は無い」ということを強く感じます。これからはグローバルを前提にした考え方が絶対に必要になります。シンガポールでは学生の就職活動も既にグローバル化され、世界で働くことは当たり前の感覚です。日本の学生はまだまだドメスティックな感覚な人が多いですが、日本にいてもグローバルな感覚を持つべきです。グローバルで通用するかどうかは、言い換えれば「グローバルな市場にとって良い人材か良い会社か」ということだと思うんですね。まずは、正しいことや良いことを追求し続けることから意識することが重要です。グローバルに成功している人が仕事だけでなく社会貢献やボランティア活動、障害者支援活動等を積極的に行っていることを見倣いつつ、GlobalizationやGlobal Citizenshipを心掛けて、グローバルに通用する精神を培っていけるよう頑張ってください。