シンガポールで旅行会社を経営している加納努さん


加納 努
【プロフィール】
年齢: 42歳 / 職業:  Asia Land Travel Service Pte Ltd / 居住国: シンガポール / 外国語: 英語

日本がまだアジアの経済をリードし、シンガポールも今ほどに発展していなかった90年代。当時のシンガポールには日本人が沢山働いていました。景気後退と共に日本人も減りましたが、その頃から今に至るまで一貫してシンガポールで働いている日本人も数多くいます。「旅るっち」ブランドで旅行会社を経営する加納さんもその1人。独立して13年、外国でビジネスを続ける心境を聞きました。

 

‐はじめに、お仕事について教えてください。
シンガポールの旅行会社で日本人責任者をしています。インバウンドとして日本からの旅行客向けに国内と近隣諸国への各種手配やコーディネートをしています。また、アウトバウンドとして在星邦人向けに他国へのパッケージツアーの販売や各種手配も行っています。

‐いつから旅行業のお仕事をされているのですか?

専門学校を卒業して旅行業界に入ったので旅行一筋20年です!はじめはランドオペレーターといって海外に自社の拠点を置いて日本人観光客のサポートをする旅行会社に就職し経理を担当していました。1995年に海外転勤の辞令を受け、シンガポールに1年、マレーシアのペナン島に3年弱駐在しました。ところが、2000年1月に会社が倒産してしまったのです。とりあえず家財道具を倉庫に預けて帰国し、日本で失業手当をもらって今後について考えていたところ、元の会社のシンガポール人の上司から「独立して旅行会社をつくるから、一緒にどうか?」とお誘いを受け、戻ってきて5月に今の会社を立ち上げました。

‐独立してからのお仕事は順調でしたか?

初めは全く仕事が無くて困りましたね。ホールセラーの大手の旅行会社にお願いはしていたのですが、契約がないからと断られるばかりでした。その後、日本の同じ名前の旅行会社と提携し徐々にインバウンドの仕事が入るようになり、2001~2002年位はそれなりに楽しみながら仕事していたのですが、2003年のSARS(サーズ)騒動で全く観光客が来なくなってしまいました。
最初の死亡例がシンガポールだったこともあり、日本の週刊誌で「シンガポールで謎の肺炎!!」などと報道され、本当に全く仕事がなくなりました。経営的にも深刻な状況だったのですが、シンガポール政府からSARS対策としての助成金を頂けたのが大きな助けとなって半年くらい何とか凌ぎつつ、それを機に様々なコースを考案して視察したり、Webサイトを立ち上げて在星邦人向けにシンガポールからの海外旅行を「旅るっち」というブランドでネット販売するアウトバウンドの仕事も確立しました。

‐シンガポールへの観光客というのは増えているのでしょうか?

シンガポールは東南アジアの近隣国に比べて突出して物価もホテル代も高いのが難点です。一時期、リーマンショックまではホテル代が倍の倍になる勢いで高騰し、しまいに、そんなにホテル代が高いならシンガポールはいいと敬遠され東南アジアの旅行パンフレットからも外されてしまい本当に大変でした。リーマンショック後は観光客が減ってしまいホテル代も落ち着いていたのですが、有名なマリーナ・ベイ・サンズ(以下MBS)ができ想定外にホテル代が高く設定されると、周辺のホテルに始まりシンガポールのホテル全体の価格が吊り上げられ現在の水準は世界的にも驚くほど高いです。それでも、やはりMBSは不動の人気があり「あの天空のプールに入りたい!」と宿泊者しか入れないプールが目的で滞在される方は多いですし、MBSエリアが開発されてから観光客全体も増えています。

‐大手の旅行会社との差別化として心掛けていることはありますか?

自分一人で24時間電話対応可能な体制をとっています!会社の電話は携帯に転送されるように設定しているので、お客様はいつでも連絡できます。旅行の付加価値として、安心を売ることも重要な要素だと考えてのサービスです。また、在星のお客様とは出来るだけお会いする機会をもち、顔の見えるやり取りで安心して利用して頂けるよう心掛けています。

‐現在、会社の従業員は何人ですか?

私以外、シンガポール人が3人、合計4人です。

‐シンガポール人と仕事をして違いを感じることはありますか?

良い点は自分の担当する仕事に対しては責任感が強く仕事が早いことです。逆に残念な点は、自分の担当以外のことに対しては「自分の仕事ではない」という割り切りが強く、自ら人のため会社のために動くという日本人的な感覚は期待できないところですね。日本語が分らないので、私の仕事に関しては仕方ないのですが。

‐日本人に対してどのような印象をお持ちですか?

まず、真面目で勤勉。時間に正確で、発想力に長けていると思います。旅行の商品開発にしても、外国人は定番商品ばかりを売り続けていますが、日本人は同じ旅先でも新しい付加価値をつけて次々と新しいコースを開発する発想力があります。

‐昔に比べ、観光客の嗜好傾向は変わってきているのでしょうか?

そうですね、インターネットの普及で誰でも来る前に色々な情報を調べることが出来るようになったということも大きな要因で、「どこで何をしたい!何を観たい!何を食べたい!」という目的意識がはっきりして旅行する人が増えたと思います。また、お金の使い方も変わってきていて、昔より自分のための消費をするようになっています。普段頑張っている自分に対する「ご褒美旅行」のような感覚で、自分の興味のあるもの、食べたいもの、したいことにはお金を惜しまなくなり、「高くても良いホテルに泊まりたい!旅先ならではの素敵な経験をしたい!」という欲求を満たすような消費行動をとるようになったのだと思います。

‐外国語は習得されていますか?

英語だけですが、必要に迫られて習得してきました。1995年に海外駐在を始めた頃は英語が大の苦手で全く分かりませんでした。それでも仕事上英語は避けて通れず、当初は華人の多い環境をうまく利用して、言いたいことを漢字で書いて伝えると同時に「これ英語でなんて言うの?」と聞いて教えてもらって必要な表現から実地で覚えました。漢字で書いて伝わらなければ絵を書いて伝えるほどのサバイバル学習法でした(笑)。

‐20代を振り返ると、どのような時代でしたか?

まだ無茶ができた時代ですね。仕事や遊びで睡眠時間を減らして多少無理をしても体がついていけました。また、20代をシンガポールやマレーシアに駐在する機会がなかったら、今こうしてシンガポールで旅行会社をしていることもなかったですし、私の人生は全く違うものになっていたと思います。

‐30代はどんな時代でしたか?

早かったですね~。30歳の時にシンガポール人と独立して旅行会社を作りましたので、あとは我武者羅に働いて必死でした。体力もついてこなくなり、SARSやテロ・鳥インフルなど旅行業界の業績に直結する事件も多く特に波乱万丈な10年でしたが、一度倒産を経験したことから、それ以下になることはないだろう頑張っていれば何とかなる、という思いで乗り切りました。

‐40代に入って変化は感じますか?

昨年、痛風や帯状疱疹など3つの病気を同時期に発症し苦労したこともあって、健康について強く意識するようになりました。

‐老後はどのように過ごすことをイメージしていますか?

旅行業は平和な時にのみ活躍できる産業なので、この先のことは全く予測できずわかりませんが…このままビジネスが軌道に乗っていれば、将来も住み慣れたシンガポールかマレーシアでのんびり過ごしたいですね。

‐最近の若者は内向き志向で海外に出ようとしないと言われていますがどう思いますか? 

そうですね、昔のように貧乏旅行をしてでも海外を周ろうというパワフルなバックパッカーというのは少なくなっていると思います。バックパッカーもみんな小奇麗で自分の演出の手段として軽いノリで旅行に出ているような…今時世界中どこにいても携帯電話一つでインターネットが繋がりメールができ、ブログやフェイスブック・ツイッターで発信し常に人と繋がっているわけですから、かつて貴重とされた「異国でのカルチャーショックや孤独感を経験して自分の殻を破り、旅行を通じて劇的に自分の世界観が変わる」なんてことは期待もしていないし経験も出来なくなったと思います。そういった意味では、昔と今では旅行の意味や意義・価値が全く異なるものになったということだと思います。

‐シンガポールの将来についてはどのようにお考えですか?

バブルがはじけそうではじけないままのシンガポールの経済は、何と言っても底力が強いのだと感じています。この先、たとえ多少の浮き沈みがあっても、間違いなく伸び続けるだろうと思っています。

‐最後に日本人へメッセージをお願いします。

人生一度きりなので、やりたいことをやればいい!たとえ失敗しても…やりたいことをやらないでストレスを感じるより、やってストレスがある方が遥かに良いと思います。運もありますが、運も努力でつかめるよう頑張って欲しいです。